同じ夢を見させてよ

しがないジャニハロ兼ヲタの日常をゆるゆると綴ります。

ブラッドブラザース総括。


素敵な舞台をThank you ,ブラッドブラザース!!!!

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本日3月15日、新橋演舞場大阪松竹座にて行われていましたミュージカル「ブラッドブラザース」が大千穐楽を迎えます。わたしは新橋を3回松竹座を2回観劇したのですが毎回新しい発見のある、たくさんの進化を見てとることが出来る舞台でした。松竹座は主演2人のホームということでより伸び伸びとした演技、そしてそれが周りにも良い影響を及ぼし全体的にアドリブだったり言い回しが変わっていたりと面白さや明るさ、そして何より(これは日によってまちまちだとも思いますが)観客の反応も増していたなと感じました。あ!あと松竹座は3階でも見やすい!ことが素敵ですね(笑)最後の観劇の日は3階3列でしたがちゃんと見えました、素敵!


以下、総括と言う名のわたしが感じたブラッドブラザースの見解をつらつらと書いてみようと思います。あくまでわたし個人の意見なのであしからず…





まずわたしは「エディは双子だということを知っていた」のではないかなと思います。エディは頭が良くて聡明だからという役柄上の設定から導き出したのではなく、いくつかそう考えさせられる場面がありました。計5回観劇しましたが毎回引っかかるシーンがあって。ひとつ目は1幕でミッキーがエディの家に遊びに来てライオンズ夫人が強引にミッキーを追い出したあとの親子のやりとりのシーン。

夫人「あの子とどこで知り合ったの!?」エディ「ミッキーの家の近く!」夫人「それであの子の名字はジョンストンっていうのね!?」エディ「そーう!!」(セリフは雰囲気です)


なんで初めて会った子どもの名字を知ってるんだろう?最初観劇した時、しばらく舞台が進んでもこの疑問を拭うことが出来ませんでした。そして聡明なエディはしばらく時間が経って冷静になった時同じ疑問を抱いたのではないかと。あの時は兄弟の契りを交わした親友を悪く言われ追い返され頭に血が上っていたエディですが、ちゃんと冷静に物事を考えられる子どもです。あとになってこの疑問を抱くのは当然のことなのではないかなと思うんです。
どうしてママはミッキーを知っているのだろうという小さな疑問がこの瞬間確かにエディの中に芽生えその答えを知らないまま、しかしこの疑問が消えることはなく成長していく。そうすると次の引っかかるシーンにすんなりと繋がっていきます。



それは2幕でロケットをお母さんに見せるシーン。先生に何度も見せなさい見せなさいと言われたのに絶対に見せようとしなかったロケットをお母さんにはいとも簡単に見せるんですよね。「親だから見せなくてはいけないと思った」っていうのももちろんあるだろうし、停学の原因を親に見せなきゃならないのは言ってしまえば当然のことです。
だけどそのあと中を見せてというライオンズ夫人は中にある写真がエディのガールフレンドだと思い込んで話を進めていきます。中身はミッキーとジョンストン夫人の写真ですからさっさと違うと否定すれば良いものを否定せずかつライオンズ夫人が自らロケットを開くように誘導…というと違うかもしれませんがまぁとりあえずライオンズ夫人は自らロケットを開きます。そしてその写真を見たライオンズ夫人は驚愕し、こう言います。

夫人「いつこの女と写真を撮ったの!?」


この発言を聞いたエディは「これは僕じゃないよ?ミッキー。と、そのお母さん。小さい頃の友達だよ、覚えてるだろう?なんでこれを僕と間違えたの?僕とミッキー全然似てなかったよ?」(セリフは雰囲気です。)とやっとここでロケットの写真の説明をします。そしてそれと同時にライオンズ夫人の反応を伺っていたのではないかな?と思うんです。これは誰?といった反応が返ってきたらエディの疑問はただの勘違いだったことになるけどそうはならず、むしろエディがきっと最も求めていた反応が返ってきた瞬間でした。引っ掛けたというか言い方悪いけど試したというか。エディの疑問が確信に変わった瞬間ってここなんじゃないかなと思うんです。ママはミッキーとジョンストン夫人のことを昔から知っている。でもならどうして?いつ関わりがあったの?なぜ僕に隠しているの?幼少期に生まれた小さな疑問は確信へと変わり、そして新しい大きな疑問を生むことになる。

(余談ですがこのロケットをどこで手に入れたか執拗に聞いてくるライオンズ夫人に対しエディは「これはただ、ただ、秘密なんだ」と返し「ママは秘密ないの?」と追い討ちをかけるような発言をしますよね。この「ママは秘密ないの?」という発言は「ママは秘密ないの?(あるよね、僕は知ってるよ)」という意味でも「ママは秘密ないの?」と純粋に聞いただけという意味でもとれると思います。わたしはこの時はまだ自分とミッキーが双子だと突き止めてないのではないかなと思うので後者でとっていますが、もし前者ならエディは大したヤツですよ(笑))



そのあとエディは大学へ進み社会的地位のある役職に就き、きっと自分の出生のことを調べることができる機会もあったことでしょう。そこで自分の出生の秘密を知り、もしくは1番残酷な形である「人から伝え聞く」といったことなどで知ったのではないでしょうか。それでも、知ってもなおそれをミッキーに伝えることなくライオンズ夫人に話すこともなく自分の胸の内に秘めていたことが良かったのかどうかはわたしにはわかりません。でも知った上でそれを誰にも知らせなかった話さなかったのはずっと大事に育ててきてくれたライオンズ夫人、ずっと1番の宝物だった親友で兄弟のミッキー、そして自分を産んでくれたジョンストン夫人への想いがあったからだろうなぁ。隠されて生きてきたことを今更公にする必要もない、ミッキーはこれを知ったらどう思うのだろうと賢いエディは感じ取って2人の母親と同じように「絶対に誰にも話さない」という選択をしたのかなと思います。



そうすると最後ミッキーに銃口を向けられ対峙した時にエディの顔に怯え恐怖といった表情が浮かんでいないことが納得できるんです。なぜならエディは「ミッキーになら殺されたって構わない。だって僕たち双子だもん」と思っているから、知っているから。ミッキーに恨まれたまま生きるくらいなら死んでもいいと思っているから。もしかしたら双子だと知った時に知らせればよかったと後悔しているほどかもしれないですよね。それくらいミッキーという存在はエディにとって大きくて憧れで自慢で温かいものだったはず。あそこで警官が来なかったら、ジョンストン夫人が来なかったらエディは「僕を撃っていいよ、ミッキー」と言っていたかもしれない。。。



結末はみなさんの知る通り、ミッキーがエディを撃ったと同時にミッキーもまた武装警官に撃たれ死んでいきます。果たして最後に「2人は双子の兄弟なの」「2人は育てられなかった…」とジョンストン夫人が2人に真実を告げたことは正しかったのでしょうか。言わなければミッキーは思いとどまって2人共死なずに済んだかもしれない。それでもわたしはジョンストン夫人の決死の告白はして正解だったんじゃないかなと思います。ミッキーは「なんで俺をやらなかった!」と激昂しますがそれでも最後の最後に2人は本当の兄弟になれたから。。。
そして死んだ2人を囲うチョークの線はまるで胎内を表しているかのようで、チョークの線に囲まれた2人はジョンストン夫人のお腹の中で育つ胎児のように丸く向き合い、ライオンズ夫人、リンダ、ジョンストン夫人と2人を生涯愛し支えてくれた人たちのコートに包まれ最後まで愛されながらその短い一生を閉じるのです。。。





っと長くなってしまいましたがこれがわたしのブラッドブラザースの見解です。感じ方は人それぞれですし、そういう考え方もありだなと思っていただけると幸いです。拙いまとまらないとっ散らかった文章になってしまいましたがこれを最後の挨拶と変えさせていただきます、ご静聴ありがとうございました(*^^*)


以上!!!